蛇石?

針道には「蛇石」という奇妙な形の石があります。

「蛇」といえば「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」、やはり同じように、「水」にかかわるものなのでしょうか?

富山県魚津市に同じ名称の石があり、観光スポットの一つであることがわかりました。

その「蛇石」について「魚津市観光協会」の公式サイトから引用します。

☞ 「片貝川上流、南又谷の河原にある「蛇石」は龍石とも呼ばれ白い花崗岩に貫入した黒い輝緑岩の模様が、まるで石に大蛇か龍が巻き付いているように見えます。大きさは高さ約1.5m、幅約2mです。」

蛇石(龍石)/魚津市観光協会公式サイト 魚津たびナビ/情報検索 魚津ライブラリー (uozu-kanko.jp)

富山県の公式観光サイトでは以下のように紹介されています。

「雨乞いの石として有名な蛇石。南又谷蛇石橋の上流側河原にあり、すぐそばの龍石祠のご霊代の石として「龍石」とも呼ばれています。」

「白い花崗岩に貫入した黒い輝緑岩の模様が、まるで石に大蛇か龍が巻き付いているような姿になっています。」

それに続き、以下の伝説が記載されています。

 ☞「伝説によれば昔、三太という狩人がこの谷で道に迷い巨岩を抱いた大蛇を発見し、金と銀の弾を撃ちこんだところ、雷鳴とともに石に絡み付いて死に絶え、その恨みが大洪水を起こしたといわれています。」

「そのため今でも片貝川に洪水があると、そのたたりと恐れられ干ばつの時にはこの石を打ちたたけば必ず雷雨を伴うと信じられています。ここでは、普段わからない石のもつ不思議な力を感じることができるかもしれません。」

蛇石|とやま観光ナビ (info-toyama.com)

それをふまえながら、針道の「蛇石」を見てみましょう。

魚津の蛇石にくらべるとサイズはかなり小さいですが、左右を逆にすれば「白い花崗岩」部分の形は似ているようにも見えます。

しかし、大蛇が絡みついたとされている肝心の「黒い輝緑岩」の部分は見当たりませんでした。

薄暗くなり、目視調査を急いだために見落としたのかもしれません。

次回の調査では明るい時間帯を選び、掘られている文字や貫入した「大蛇」の痕跡を確認したいと思います。

なお、口太山の中腹にある「夏無沼」には、以下の大蛇伝説があります。

1.昔々、この沼はエメラルドグリーンの澄んだ冷水を湛えていた。

☞ ということは泉が湧いていた?

2.夏でも冷気がただよい、「夏無沼」と呼ばれるようになった。

3.大雨が降っても沼の水が濁ることはなく、その深い水底には大蛇が生息していた。

☞ 透明度が高いという説明から、大蛇の姿がはっきり確認されていたことになります。 ☜ 「大蛇」の正体はいったい何でしょうか?

【推論】夏無沼に水を供給する「泉」の主、つまり、水の神(弁財天など)ということになります。

☞ しかし、その「泉」の元は「口太山」の本体(に貯えられた地下水)ですから、針道集落の人々にとっての「神」は水の神=山の神ということになるのではないでしょうか?

したがって、死んだ後に口太山に還り、里(針道)に暮らす人々を守るご先祖様の御霊(霊魂)を鎮めるために山岳寺院や僧侶集団(後述)が存在したとしても不思議はありません。

4.日照りが続いた年、農民たちが夏無沼の水を水田に引く工事を行いました。 ☞ 事業規模を考えれば工期は江戸時代でしょうか?

5.夏無沼の水が干上がる前に大蛇は雨雲を呼び、その雲に乗って土湯の雌沼に移って行き、雌沼の底に身を沈めた。

☞ 「大蛇=水神」という範式に基いて考察すれば、

(天の)神頼み(雨乞いの御神事など)であった天水利用の稲作から灌漑水利用の稲作への移行過程について、

以上の点から、

「大蛇伝説」は、溜池灌漑利用への転換期を「蛇=水神=自然の象徴」に関する寓話を用いて説明した伝説であると推測されます。

農業用水として利用される夏無沼は、口太山の地下水が湧き出す泉を水源とする自然湖沼であった。

里人たちが溜池として利用するために大蛇(神の化身)が司る自然の摂理を変えてしまった。

それは飢饉で死ぬことのない社会の基盤を提供したわけですが、産業革命以降の経済活動につながるともいえます。

☜ 大蛇が移住した雌沼は現在の「女沼」を指すと考えられています。

夏無沼(福島県二本松) – 水辺遍路 (hatenablog.com)