針道九区

 

集会所での活動報告会の様子です。 ☞ 2019年2月2日(土)

山村「針道」の風景を象徴する一コマです。

起伏の豊かな地形の最下方(針道川水系)に水田が広がり、高台の中腹には畑や桑園(現在は遊休化)が点在し、それらの上方には日々の生活を営む住居が建てられています。

針道の里山「口太山」の登山口(山口)です。「口太山」は「朽ち人」(くちびと)から転じた名称だと聞きました。

「姥捨て山だったのか?」と思いきや、平安時代の藤原実方(中将)という有名な歌人の方が詠んだ和歌にちなむ地名だそうです。

口太山を登り始めてすぐ、奇妙な空間を目にしました。その区間は「今井公園」と言い、針道に暮らす今井さんが自力で開設した公園だそうです。今井公園は、針道に暮らす方々の憩いの場として利用される「民設・民営」の私立公園なのです。

谷筋に沿って開墾された元の棚田を整備して造成された「今井公園」は閑静な林の中に位置しています。ですから、落ち着いた雰囲気の中でBBQや流しソーメンをしながら楽しいひと時を過ごすことができます。

この奇妙な物体は何でしょうか? ☞  答えることができたら「山村事情」合格!です。

手前には水田があり、畦畔に立っています。つまり、その傍らの電気柵の電源となる太陽光パネルなのです。

江戸時代の天明年間(1780年代)、浅間山の噴火によって火山性微粒子が大気圏を覆って太陽光が遮られ、寒冷化がもたらされたことによって発生したとされる「天明の飢饉」ってご存じですか?

歴史の教科書でしか知らなかった江戸時代における飢饉。それをリアルを再現してくれる墓標です。合掌

その後、時代を経て置かれたと推測される謎めいた「蛇石」

集落消滅後の再開発を記念するモニュメントと考えられるが、その真の正体は何でしょうか?

かつての針道は交通の要衝の地でした。養蚕が盛んだった頃は京都の西陣との取引があったそうです。さらに、幕末には横浜港まで生糸を運び、米国に輸出していたそうです。戊辰戦争のさなか、生糸商人が命がけで運んだという話も聞きました。

たわわに稔った稲穂の先に見える黒いビニールシートはいわゆる低レベルの放射性廃棄物です。原発事故の廃棄物処理はまだ終わっていないことを示している風景です。

2011年に起きた原発事故の影響(放射能汚染地区)を示す位置図を示しておきます。幸いにも、針道は阿武隈山系(特に、白猪森や口太山など)に守られ、放射能による被害の程度が低レベルに抑えられました。

今井公園のエントランスです。

自然素材100%からなる「今井公園」の看板です。

かつての養蚕飼養施設が「古民具資料館」に変身しました。生活様式や農業生産様式の変化を実感できる貴重な資料館です。

道の駅「ふくしま東和」のエリアマップを用いて針道九区の位置を確認しましょう。右側の上部が針道九区のエリアです。

①「口太山トンネル」を目印にすると直下に、②「諏訪神社」が見つかります。そこが「あばれ山車」の本拠地です。

視点を右側に移すと、③「夏無沼」と④「口太山」があります。その一角にはキャンプ場やバンガローが整備され、針道のアウトドア・レクリエーションの拠点となっています。地図には掲載されていませんが、⑤「今井公園」は「口太山トンネル」の針道側出口付近にあります。⑥「民具資料館」もその近くです。

以上が、針道九区の主な観光スポットです。

針道を含む「東和」は有機農業が盛んな地域です。

旧東和町(二本松市東和支所管内)のオーガニック・ファーミングを支えている地域資源循環センターです。農作物が育つ土を健康な状態に保つためには、土壌微生物の食べものになる良質の堆肥が欠かせません。

阿武隈川の公式カヌー競技場がある「島山」の河川風景です。

針道は生糸・煙草のブランド産地・集積地であり、「塩の道」の中継地でもありました。「馬洗」というネーミングは、当時、塩を背に積んだ馬たちの休憩場であったことを思い起こさせてくれます。

観光名所「馬洗川渓流」は太田川と針道川の合流地点にあります。「馬洗橋」から「大学橋」までの約1.2kmの区間に「小淵滝」「猫淵滝」「大久保滝」「八畳岩」があり、散策を楽しめます。

「ふくしま農家の夢ワイン」の醸造所です。 ☞ 「戸沢」産の葡萄から搾った「一慶」(Ikkei)はJR東日本TRAIN SUITE「四季島」のランチワインに採用されました。醸造所裏の斜面には、桑の木を伐根して植えられた葡萄畑が広がっています。

口太山からの眺望です。 ☞ 眼下に、針道の集落が一望できます。

針道の「養蚕」創生記 ☞ なぜ高貴な身分の「香野姫」が蚕の飼養技術や機織技術に精通していたのでしょうか?

現代的な感覚からすれば不思議に思えませんか。皇后さんが吹上御苑で養蚕を始めたのは明治4年のことでした。

『日本書紀』には、雄略天皇が皇后さんに養蚕を勧めたという記載が残されています。☜ 西暦462年 当時の高貴な女性たちにとって「養蚕」は「和歌」や「琴」などと同じように、習得すべき必須のスキルだったのでしょうか?

いずれにしても、稲作と同じように、養蚕も日本文化のルーツとの深いかかわりがありそうです。

「香野姫明神」の鳥居です。「香野姫」には針道での養蚕起源にかかわる伝説が残されています。

「香野姫明神」の由緒を説明した立看板です。

「香野姫明神」の歴史を感じさせてくれる夫婦桜の老木です

「香野姫明神」は人目を憚るかのように、旧戸沢村の片隅にひっそりと佇んでいます。