活動内容

ここでは、エコカフェ秡川が行ってきた活動について掲載します。まず、エコ・カフェ秡川の活動内容を紹介しましょう。

♪例えば、こんなこともしています。☟

針道での除草風景です。東北文化学園大学のHPに動画が掲載されています。 ☞ イノシシなどの獣害を防ぐ電気柵の有効化を維持するために畦畔の除草に向かうところです。

では、ここで質問です。

Q. なぜ畦畔の除草が必要なのでしょうか?

A. 電気柵に張った電線が雑草にふれると漏電して電圧が低下し、イノシシに対する防御効果が低下するからです。そのため、雑草の生育が旺盛になる梅雨時から、稲の花が開花して実りの秋を迎えるまでの夏の盛りに除草作業を励行することが求められるのです。

杉沢の大杉

樹齢は1,000年とも推測されており、間近で見るとその大きさに圧倒されます。当地の歴史の長さを感じながら、私たちの活動もこの古木に肖り、息の長いものにしたいものだと思いました。

針道九区における大学生事業報告会の様子 ☜ 平成31年2月、集会所にて

仙台から針道までの道程:電車を利用する場合、仙台駅・福島駅間は東北新幹線を利用し、福島駅で東北本線に乗り換えます。二本松駅前から針道までは福島交通のバスが出ていますが、本数はかなり少ないです。

大学のある「国見6丁目」(宮城県) から近い「宮城IC」から「国見IC」(福島県) は東北自動車道を利用します。片道2時間弱で往復できますが、その時間距離は長いと思いますか、それとも短いと思いますか?

少し見にくいですが針道の25,000分の1地図です。桑園を示す緑色の多さが、かつて養蚕地帯であったことを示しています。黄色は水田で、針道川に沿って広がる田園風景が想像できるでしょう。

しかし、耕作放棄地を示す赤色が点在しています。その点が線になると、イノシシが人里に近づくアクセス・ルートとなり、獣害の促進につながってしまいます。

針道地区を中心とする旧東和町には養蚕発祥の伝説(養蚕縁起説)があります。

針道に隣接する戸沢の「香野姫明神(かやひめみょうじん)」(戸沢字伏返)は実方中将(さねかたちゅうじょう)の妻「香野姫(かやひめ ☞ 伽耶姫)」を祀ったものとされています。

実方中将は長徳元年(995年:平安時代)左近衛中将に昇進した歌人藤原実方です。生粋の文化人なのに、血気にはやり大納言の藤原行成と口論の末に笏(しゃく)で冠を打ち落としたという武人のような逸話が残されています。

実方中将は天皇(一条天皇)の逆鱗にふれ、陸奥の国へ左遷されたそうですが、その折、「陸奥の 阿古屋の松をたずねかね 身は朽ち人となるぞ ものうき」と詠んだ、とされています。

「阿古屋の松」は平家物語にも登場し、中央政府内の権力闘争にまつわる悲劇を象徴する言葉なのかもしれません。

実方中将は陸奥国の巡回途上に落馬事故で亡くなり、行方知れずとなった夫を探すために香野姫は単身陸奥の国に向かいますが、無理がたたり行き倒れになってしまいます。その香野姫を背に乗せて助けたのが「白猪」、香野姫は村人たちの手厚い看病を受けて恢復したとされています。

そのお礼として養蚕や機織りを教えた、というのが「針道養蚕縁起説」のストーリーです。

1.桜の古木が佇む「香野姫明神」が鎮座していること。2.「朽ち人」から転じたとされる「口太山(くちぶとやま)」や「白猪森(しろいもり)」などの地名が存在していること。3.約50年前まで続く養蚕技術の長期的継承が推測されること。

以上の3点から、香野姫伝説や養蚕縁起説を単なる想像上の作り話とするには状況証拠が整いすぎているように思います。

はるか昔、伝説が生まれるような開拓史が存在したと考えてもおかしくはないでしょう。

今でも針道では伝統的な祭祀が今も脈々と継承されています。その担い手は「若連」(わかれん)と呼ばれる若者たちです。

あばれ山車の人形を制作する針道九区の若連、すなわち「後東若連」のメンバーです。

昔の成人(元服)年齢(15歳)の男子に「入連」が許され、その定年は30歳です。しかし、少子化の進む近年では、30代の若連メンバーも少ないようです。「若連」のメンバーは、毎年!お盆明けから約50日間をかけて大きなハリボテの人形を作り上げます。

3Dプリンターを駆使して模型から作る若連の精緻な創作技術に驚かされますが、同時に、(ほぼ毎晩のように)夜食の提供などで支える女性(「総務」の親族など)の方々の献身的な協力には頭が下がります。

私たちが活動拠点にさせていただいている「山里の家」は農家民宿という宿泊施設です。旧東和町(現二本松市東和支所管内)にはユニークな特徴をもつ22軒の農家民宿が存在しています。

その中の1つである「山里の家」は囲炉裏と茅葺きの古民家ではなく、太陽光パネルを装備した快適な居住環境と周囲の豊かな自然環境が調和した都市・農村共生型の「近未来型」農家民宿です。

都会っ子の多いエコ・カフェ秡川に適した初心者向き農家民宿といえるかもしれませんが、周辺の自然環境が自然愛好家のニーズを満足させるものであることはいうまでもありません。

夜間に民宿の周りをうろつくのはヤンキーな兄ちゃんたちではなく、お山(口太山や白猪森など)のワイルドな環境で育ったイノシシ君たちです。早朝に散歩したら、スコップで掘ったとしか思えない(実は牙スコップでミミズを掘り起こした)彼らの夜間労働の成果を見ることができました。

養蚕で栄えた針道には「お蚕さま」の飼育施設が残っています。右下に見える二階建ての家(土壁)も蚕を飼育しいていた施設の一つです。その背後には、稲の育苗ハウスと口太山への登山道が見えます。

「針道九区」は旧東和町の北端に位置する集落で、口太山トンネルを抜けた先は、NHKの朝ドラ「エール」のロケ地になった川俣町です。

  口太山トンネル手前の峠道を登って行った先には歴史的な価値が評価されている「木幡山 隠津島神社」(こわたやま おきつしまじんじゃ)に祀られた神々や文化的・宗教的遺産が鎮座しています。

なお、隠津島神社はさまざまな伝説が残る神社で、毎年、12月の第1日曜日には羽山の山岳信仰(修験)と所縁のある「旗祭り」が開催されています。

多くの民家が小高い丘の上方に位置しています。また、「小手森城址」や「柵」と同音の「作」という地名もあります。針道(はりみち ☞ 墾道:古代の開拓地の地名)は、かつて大和朝廷の前線基地だったのかもしれません。

「蝦夷地」に暮らす人々に農業(開墾、灌漑技術など)や養蚕などの先進的技術を教えながら、状況によっては城塞都市として防衛に務めていたの板のかもしれません。針道の住居はその名残りをとどめているのではないでしょうか?

口太山の登山口を示す看板です。その隣りに見えるのは、育苗(春)と花卉類の栽培(夏~冬)ができる加温ハウスです。

口太山の中腹には、キャンプ場、炊事場、バンガローなどが整備された「夏無沼自然公園」があります。「夏梨沼」には興味深い伝説があるのですが、それは別の機会に紹介します。

江戸時代、天明年間の飢饉の際に非業の死を遂げた方々の墓標のようです。合掌!

田んぼの中で夜遊びしたがる非行?イノシシ君たちを制御する規制線ともいえる電気柵です。

高圧電流を流していますが、草が伸び電線に接すると漏電して電圧が低下してしまいます。それを防ぐため、雑草の生育が旺盛になる梅雨時(つゆどき)から除草作業の励行が求められるのです。

電気柵の電源となる「地球にやさしい」太陽光パネルです。

今井公園内のゲストハウスです。炭火焼のバーベキュー設備があり、暑気払いのイベントを楽しませていただきました。

今井公園の全景です。口太山登山道からの鳥瞰図になります。

口太山の登山道から針道集落を眺望した景観です。

今井公園の入り口です。自然素材100%の看板(?)が見えます。

水田周辺の畦畔上に張り巡らされて獣害を防いでくれる防人たち(電気柵)です。

水田の先に、放射性廃棄物を覆う黒いビニールシートが見えています。原発事故による放射性廃棄物処理問題はまだ終わっていません。

針道はかつて交通の要衝でした。針道の農家が生産する生糸や煙草だけではなく、近隣の産地から集まる生糸や煙草を取り扱う商業地としてもにぎわっていました。昭和の初め頃の針道を復刻した地図から、馬市が開かれ、居酒屋や映画館も繁盛したことがわかります。

口太山トンネルの(針道からかの)入口または(川俣からの)出口です。

これが「針道」を南北に貫いている国道349号線です。

口太山トンネルの(川俣からの)入口または(針道からの)出口です。

口太山トンネルの内部です。(針道への出口方向)

同じく、口太山トンネルの内部です。(川俣への出口付近)

「古民具資料館」です。かつては養蚕飼育施設でした。

坂道の下方から農家民宿「山里の家」を見上るとこんな感じです。

口太山展望台(駐車スペースあり)からの眺望です。

こちらも口太山展望台からの眺望ですが、木が茂り、せっかくのすばらしい景観が見えにくかったことが残念でした。

私たちが軽トラで「口太山」を走っているとイノシシの母子5~6頭が前を走っていました。追いつくために速度を上げると、彼らは山の斜面を一目散に駆け上がって行きました。カメラを構えるのが遅れて絶好のシャッター・チャンスを逃してしまいました。残念!

3棟が並ぶ、夏無沼自然公園内のキャンプ場に設置されたバンガローです。

一番小さいバンガローの内部を見せてもらいました。2段ベッドが室内の両サイドに2つあり、トイレと洗面台が設置されていました。寝袋があれば床でも寝れますので、最小規模のバンガローでも軽く7~8人は泊まれそうだと思いました。

ここに泊まれば、キャンプ場に設置された調理場で自分たちが作った料理を味わいながら、都会では絶対に見ることのできない美しい星空を眺めることができるっでしょう。

「羽山」の頂上に設置された謎めいた記念碑です。

これも「羽山」頂上からの眺望で、正面に見えるのが「移ケ岳」(うつしがたけ)です。

これは「羽山」頂上に置かれた方位図です。 ☞  江戸時代初期に「四谷用水」を測量や工事を指揮した仙台藩普請奉行(現在の仙台市建設部長?)の「宇津志 惣兵衛」(うつし そうべい)の出身地に聳える「移ケ岳」の位置が南の正面にあることがわかります。

宇津志 惣兵衛は片倉小十郎景綱の仲介で仙台藩に出仕することになったとされ、「大坂夏の陣」では先鋒を務めた片倉重長とともに出陣しています。三春藩出身である彼の普請奉行への抜擢はその軍功(土木事業に関する経験や知識)によるものではないかと推測されます。

☜ 宇津志 勇三『寒き夏~仙台城下 天明飢饉録~』、本の森(2014年)

苦難の末に、羽山の頂上に立つ!

「羽山リンゴ」の創始者である武藤 嘉 氏の顕彰碑です。養蚕と煙草を主体とする経営から林檎への転換を主導した先駆者である武藤氏の苦労は大変なものであったに違いありません。果樹作を導入することによって養蚕や煙草が衰退しつつあった当地の農家経営を救済したその功績はきわめて大きなものであり、だからこそ顕彰碑が建立されたものと考えられます。

羽山リンゴの共同選果場 ☞ 夏場は閑散としていますが、秋の収穫期には「猫の手も借りたい」程の忙しさになるようです。

馬洗川渓流 ☜ 2019年「台風19号」による豪雨で甚大な被害を受けました。

東和支所管内の「有機農業(organic farming)」を支える堆肥センターです。有機農業は作物を育てる「土」を健康な状態に保ってくれる微生物のエサになる「堆肥」が不可欠なのです。

ふくしま農家の夢ワイン」の醸造施設です。 ☞ ふくしま農家の夢ワインの「一慶」は2015年にJR東日本の「四季島」のランチ・ワインとして採用されています。

「ふくしま農家の夢ワイン」の外観です。

 

大野農園でのミニトマト収穫体験

収穫方法の説明を受ける。

収穫したミニトマト。びっくりドンキーの付け合わせになる。

ミニトマトが育つビニールハウス。

ビニールハウスが立っている場所から母屋と水田を眺める。

ミニトマトの収穫風景。

針道九区の鎮守である諏訪神社本殿への拝殿口。

諏訪神社の本殿

拝殿口の鳥居から本殿へと続く石段

諏訪神社の入口付近に立つ鳥居

針道九区に隣接する観光スポット「中島の地蔵桜」

 

     東和支署管内の最高峰「羽山」の頂上です。ちなみに、「一慶」を仕込む葡萄はこの山の西麓(戸沢)で栽培されています。