「伝統」の歴史
- 2022.10.19
- あばれ山車

我ながら、奇妙な?タイトル名である。
平安時代の永承年間(1050年頃)から神事を執り行ってきた諏訪神社の祭礼は、天正13年(1585年)伊達政宗による「撫で斬り」(武力侵攻に伴う残虐行為)事件で衰退したが、「宝暦の飢饉」(1758年頃)後に再び復活したとされている。
☞ 二本松市「にほんまつ観光処」
また、「二本松市観光連盟」の説もほぼ同様である。
☞ 二本松市観光連盟
さらに、それらが依拠する「針道」若連は、「あばれ山車(山車もみ)」の由来を、帰りを急ぐ山車同士が偶然衝突した昭和2年(1927年)頃から「針道けんか祭り」と呼ばれるようになった、という点に求めている。
☞ あばれ山車の由来②(若連連合会)
だが、それらの説を裏付ける物証は存在しない。
そもそも、幾度も大火災が起きた針道に集落史を物語る史料は少なく、明確な「物証」は「あばれ山車(山車もみ)」の写真を用いた1960年代以降のポスターのみ。
今年、「後東若連」(針道九区)がその超貴重パネルを一挙公開!「後東若連」OBの今井良二氏が収蔵・パネル化した「お宝」の設営作業を私達も手伝わせていただいた。
ポスター第1号は昭和42年(1967年)頃。現在は多くの寄付金が集まるポスター制作だが、当初はスポンサーも少なく大変苦労されたという話であった。
その当時の「あばれ山車」ポスターから改めて「あばれ山車」の歴史の重さを知り、針道に継承されている独自の文化の価値や芸術性を味わい深く鑑賞できた。