会津身不知柿とSDGs
- 2021.04.26
- 地域情報

自然と経済の調和(a harmony of the nature and the economy)は持続性(sustainability)の前提である。会津身不知柿の「吉美人」の視点からSDGsについて考えたい。
雪原の柿と蒸気機関車、消えゆく会津の風景。石田先生によれば、会津身不知柿は戦国時代に中国から渡来、小浜を経て会津に入ったという。「吉美人」はそのDNAを継承し、会津の地で誕生した。
戦国時代の小浜(現二本松市)の領主であった大内氏は西念寺の住職・夕安和尚を中国に派遣した。夕安和尚が中国から持ち帰った柿が天正13(1585)年に大内氏が会津へ逃れた際に持ち込まれ、会津身不知柿の原種になったという。「吉美人」はその遺伝形質を受け継ぎながら、斬新な技術革新と販売戦略によって持続可能性(sasutainability)を獲得するに到った。
台木を利用したりんごの矮化栽培は「吉美人」誕生と如何に関係するのだろうか?
「吉美人」はりんごの栽培からも学んでいる。正確にいえば、「ふじ」の普及に貢献したりんご農家斎藤昌美氏に学んでいる。
ここで、りんご栽培に関する知識ゼロの方のために「りんご大学」の動画をアップしたい。
もちろん、省力や多収を追求するりんご大学は「吉美人」が目指す方向性とは異なる。「吉美人」は高品質や単収増のみを追求してきたわけではない。確かに、桐箱に納まった1個1万円の7Lサイズの柿を育てているが、その目的は単なる収益性の追求だけではない。
少し大袈裟だが、「自然の植生を変え、人間の欲望を満たすことは正しいか?果樹の姿は美しいか?栽培される樹々や収穫される果実は幸福か?」という本質的問題を考え抜いてきた末に「吉美人」という成果に到達したのである。
吉美人は柿農家の七代目が生んだ芸術品であるが、その作品を創造したアーティストは「山川草木悉皆成仏」を共有する風土と文化から生まれたと考えられる。
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